戦時下の医薬品生産
日本の国際的孤立が高まる中で、政府は国策として医薬品の国産化を強力に推進しました。その結果、昭和11年(1936)には日本の医薬品生産高は輸入高を上回り、医薬品産業は最盛期を迎えました。しかし、この後の国内生産は軍需に偏り、戦争末期には医薬品の生産は不可能に近い状態にまで陥ったのでした。
一方で、生活必需品である医薬品は強力な統制経済下に置かれ、配給品に指定されました。生産、物流は「日本医薬品統制株式会社」の統制下に敷かれ、販売価格は全面的に公定価格となり、自主的な販売活動はできませんでした。しかし、配給品の確保と在庫品の保全のために、戦時下の医薬品卸は文字通り決死の覚悟で戦火を潜り抜けていました。
第二次世界大戦と製薬
第二次世界大戦により医薬品産業も壊滅的な打撃を受けました。しかし、戦後は米国がペニシリンの製造・販売を日本に許可したことが、多くの企業の医薬品産業参入へのきっかけとなり、戦後の医薬品の生産は順調に回復への道を辿りました。
一方で流通については、物資の不足から配給制度が継続しましたが、公定価格の高騰、闇商品の高値取引といった混乱が続きました。やがて物資の安定とともに配給が終了し、公定価格が撤廃されましたが、生産過剰による深刻な値崩れが起こりました。特にペニシリンの大量生産は、熾烈な販売競争を招きました。
また、朝鮮戦争の特需に乗じて無理な販売や事業の拡張を行った企業は、倒産に追い込まれるケースが多発しました。
こうした混乱の中、医薬品の販売価格の適正化や卸薬業の合理化など、流通上の課題を自主的に解決することを目的とし、昭和29年(1954)日本医薬品卸業連合会が創立されました。
昭和初期~20年代 年表
1927
昭和2年
薬学・薬事
健康保険法施行
社会
金融恐慌
1928
昭和3年
社会
初の普通選挙実施
1931
昭和6年
社会
満州事変始まる
1933
昭和8年
社会
国際連盟脱退
1937
昭和12年
社会
日中戦争始まる
1938
昭和13年
薬学・薬事
全国医薬品原料配給統制会設立
1939
昭和14年
社会
第二次世界大戦始まる
1941
昭和16年
薬学・薬事
全国地方卸薬業連合会(現在の卸連の前身)発足
薬学・薬事
医薬品及び衛生材料生産配給統制規則の公布
薬学・薬事
日本医薬品生産統制㈱設立
薬学・薬事
日本医薬品配給統制㈱設立
社会
太平洋戦争始まる
1942
昭和17年
薬学・薬事
医薬品生産額最盛期(年間4億円)
1944
昭和19年
薬学・薬事
日本医薬品統制㈱設立(生産統制㈱、配給統制㈱等8統制機関の合併)
薬学・薬事
ペニシリンの国内製造始まる
社会
B29本土初空襲、学童集団疎開
1945
昭和20年
社会
太平洋戦争終わる
1947
昭和22年
薬学・薬事
医薬品及衛生材料生産配給統制規則の廃止
1948
昭和23年
薬学・薬事
日本製薬団体連合会(日薬連)設立
1949
昭和24年
薬学・薬事
国産ペニシリン生産本格化
1950
昭和25年
薬学・薬事
医薬品価格統制を全廃
薬学・薬事
薬価基準制度制定
社会
朝鮮戦争始まる
社会
朝鮮特需景気の発生
1951
昭和26年
社会
日米安全保障条約調印
1954
昭和29年
薬学・薬事
日本医薬品卸業連合会設立